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旭山動物園について ’07.05.13 by UT
「戦う動物園」――小菅正夫・岩野俊郎 著・島泰三 編 中公新書 を読みました。
ちょうど読み終わった頃に、次のニュースをインターネットで見ました。
(同じような内容がテレビ・新聞でも報道されていました。)
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入場者数、初めて300万人台に=北海道旭川市の旭山動物園
3月27日12時1分配信 時事通信
北海道旭川市の旭山動物園は27日、年間入場者数が今年度、初めて300万人の大台
に乗ったと発表した。2005年度実績は約207万人で、現時点で5割近い伸びとなった。
同園などによると、全国の動物園の入場者数は東京の上野動物園が2月末累計で約320万
人とトップ。旭山動物園はそれに迫る第2位で、生き生きと動き回る動物の姿を見せる「行動
展示」や、冬季の「ペンギンの散歩」などが人気を呼んでいる。市が運営する「最北の動物園」
として、街おこしの面からも評価が高い。
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「戦う動物園」は、ニュースに出てくる“旭山動物園”の園長、小菅正夫と北九州市にある
“到津(いとうづ)の森公園”の園長、岩野俊郎の両氏が書いた本です。
いずれの動物園もどん底を経験したあと、見事に復活、再生を果たし注目を集めています。
そのドラマをまさに引き込まれてしまうように記述してあるのが「戦う動物園」です。
その「戦う動物園」と「旭山動物園へようこそ」――板東元 文 桜井省司 写真 二見書房 刊
の2冊から、旭山動物園に関することを読書メモとしてまとめてみました。
なお、板東元さんは旭山動物園の副園長で、たくさんの展示施設を設計した天才設計者と
いわれています。
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日本の動物園では、入園者が少なくなっている。新しい動物園は開園時にこそたくさん入園
するが、それ以降はじり貧になる傾向を見せている。旭山動物園もその一つ。入園者は年間
26万人の最低を記録。あわや閉園の瀬戸際に追い込まれる。
動物園の存在意義は何なのか?
原点を見つめ直す作業が徹底的に行われた。そして得られた結論は、
ストーリー……動物園を作る側の存在証明……の欠如
多摩動物公園の成島悦雄さんは、「自然を支配するのではなく、人が自然を畏れ敬う自然観に
基づく動物園を発展させることが、私たち動物園人の課題であろう」と述べています。
旭山動物園は、最北の動物園として寒冷地の動物を飼育繁殖させ、その命の輝きを感じてもらう
というストーリーを打ち出します。さらに
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動物園で動物を見て、『かわいい』って言っている間は、人が動物をペットか、おもちゃのように下
に見ているんです。大の大人から『すごい!』と言う声がでなくちゃ、野生の動物の命を感じてもらっ
たことにはなりません。
そのために、野生の動物は野生でなくてはいけない。動物園で飼っているほどの野生動物は、人
間と同じほどすごい。それを感じるほどの動物園でなくてはならない。
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ということで、天才設計者の活躍が始まるのです。
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設計者、板東元さんの言葉-その1
ホッキョクグマは、「レッドリスト」に挙げられた、いわゆる絶滅危惧種の一つです。野生での個体数
は2万数千頭。個体数から見ると絶滅は心配されない。ではなぜか? それは地球温暖化。このまま
温暖化が進めば数十年で絶滅する可能性がある。「彼らを守りたい、地球上から消えさせてはならな
い」――そんな気持ちが芽生えるきっかけになってくれたら、それが旭山動物園の願い。
頭のなかの知識だけでは行動には結びつかないと思うから。
50年後、野生のホッキョクグマが氷の大地で命を受け継いでいたら……それは温暖化を防止できた
証になる。
環境問題が対岸の火事ではなく、火の粉が降りかかりはじめた今、動物園は理屈ではなく、「動物の
いる空間の気持ちよさ」を伝えることが使命だと思う。
なぜ自然を守らなければならないのかは、頭で考えるのではなく、まず感じることから始めたいものだ。
動物たちが幸せに生活することが、「気持ちよさ」を伝える第一条件。
ホッキョクグマが泳いでいるときにチラッと目が合ったとき、ダイビングで目が合ったとき「かわいい」とい
う声が聞こえてくる。
「違う、違う。その表情のままガブッとくるんだよ!」 本当は鳥肌が立つくらいに恐ろしい瞬間なはずな
のに……。ホッキョクグマの極地への適応や、肉食に特化し先鋭化していった能力の背景を僕らは伝え
切れていない。
旭山動物園はまだまだ未熟なのである。
設計者、板東元さんの言葉-その2
旭山ではゴマフアザラシを飼育・展示していたが、アザラシの展示施設も水深が1.3メートルと浅く、こ
れといった工夫などもないただのプールだった。
遠足で小学生が先生に先導されてアザラシの前で立ち止まる、あるいは、お母さんに連れられて子供
と一緒に立ち止まる。子供たちは口々に、「鼻の穴がピクピクしている!」「何で背泳ぎしてるんだろう?」
「目が大きい!」と言う。
子供の立ち止まる時間が長くなると、先生やお母さんが言う――「はい、そろそろ次に行こうね! ここ
にはラッコはいないんだね、これはいつも見ているただのアザラシだからもういいでしょ」と。
ラッコには見る価値がある、そういう価値観が心のなかにあると「ただのアザラシ」となる。子供の純粋な
興味や好奇心、アザラシのなかに見つけた「たくさんの凄い!」は、大人の価値観を聞かされた時点で
色あせたものになってしまう。
悔しかった。僕たちは飼育していて「ただのライオン」でも「ただのアザラシ」でも飽きることはない。とても
大切にしている宝物をみんなにけなされているような悲しさと、自分たちが感じている彼らの素晴らしさを
来園者に伝えられていない悔しさが入り混じっていた。
「アザラシだって凄いんだ!」と、ありのままを見ることができ、受け入れることができる、そんな心を育て
ないと、人類の、地球の未来はもうないのかもしれない。少なくとも、子供たちに、僕たち大人の価値観
を植え付けてはいけない。僕たち大人がこんな地球に、社会にしてしまったのだから。
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人間が正常に暮らすには野生の動物がそばにいることが、どうしても必要だ。野生の動物がいない
と、人間は精神を病む。
子供のために動物園は必要だ。自然のなかで生きた教育をする。
動物園は単なるレジャー施設じゃない。展示している動物との触れ合いを通して、動物と人間、また
は自然と人間が向き合うためにはどうすればいいのかを、子供も大人も学ぶことができる素晴らしい場
所。
「動物園が地球を救う!」 旭山動物園のスタッフの人たちの意気込みが感じられました。
(おわり)